昨夜寝る時に自分は今50代、多く見積もっても人生の折り返し地点を過ぎているのだなと思った時の話です。
うつ病の希死念慮とは全く関係のないことですが、”死”について考えていました。
子供の頃、自分も亡くなった他の人と同じように、いずれは死ぬことを理解した時の恐怖。
大人になると自分の”死”も怖いけれど、自分の近しい人がいなくなる”死”の方が、もっと怖いことが分かるようになりました。
昨日まで一緒にいたのに、今日周りを見てもその人がいないのは恐ろしくて悲しいことです。
そうしたことが実際に過去、私の身の回りで起きました。私の両親のことです。
最初に母、次に父が病気で亡くなったのですが、私はいずれの時も泣くことができませんでした。
映画やドラマだと人が亡くなると同時に周りの人たちは泣くことになります。
しかし実際には、”死”に直面すると頭の中が真っ白になる、呆然とする事となり、何をどうすればいいのか分からなくなります。
仮に状況を把握できるようになっても、頭の中でブレーキがかかり泣くことを許さないのです。
そして男は、長男の私は泣いてはいけない、我慢しなくてはいけないという気持ちもありました。
泣きたいのに泣けないというジレンマの中、時間だけが過ぎていきます。
しかし、亡くなった後の通夜や葬式の準備など、しなくてはいけないことが多く発生します。
泣けないし悲しむ時間もない状況です。母が亡くなったときが特にそうでした。
だから父が亡くなったときは家族で内々に通夜や葬式をしました。
そして今でも両親を看取って後悔しているのは 、泣きたい時に泣かなかったことです。
涙が悲しいことを洗い流すということではないのですが、当時の悲しみが今でも心の中から消えず、ボディブローの様に心にダメージを与え続けているのです。
だからどうか皆さん、悲しいとき泣きたいときは素直に泣いて下さい。
泣くのを我慢しても後が辛くなるだけです。もし泣かないと私のように後々まで悔やむことになります。
私が両親の死で後悔することはもう一つあります。皆さんの参考になればと思います。
それは両親に人間ドックを受けさせていなかったことです。
私の母が亡くなる時は専業主婦、私の父が亡くなる時は定年後のことでした。
そのためサラリーマンのように人間ドックは受けてはいませんでした。
人間ドックを受けていれば病気が見つかるとは必ずしも言えませんが、病気が見つかる可能性はあります。
私が両親のことを心配するのなら人間ドックは自分でお金を払ってでも受けさせるべきでした。
皆さんも悔いが残らぬよう、泣きたい時は泣く、今できることは今するようにして下さい。(私が言うのも説得力がありませんが)